国の始まり(旧約聖書/天地創造)
日本神話では、最初に国作りの神々が現れ、自然の中に存在する神々を創り出していきます。では、旧約聖書では、どのように記述されているのでしょうか。そもそも、旧約聖書には、大昔からの出来事が、各ステージごとに記述されており、順序だてて、知ることができます。
「創世記」は、神が自然界を創造(天地創造)するところから始まり、「アダム」と「イヴ」が誕生、「アベル」と「カイン」、さらに「バベルの塔」や「ノアの方舟」とプロローグが続きます。やがて、偉大なる「アブラハム」が登場し、本筋が始まります。その後に「イサク」「ヤコブ」「ヨシュア」と子孫が生まれ、エジプトに一家が移動し過酷な生活を送るあたりまでが、書かれています。
そして「モーセ」が登場し、やがてエジプトを離れカナンの土地に向かう「出エジプト記」の物語へと続くわけです。
▮天地創造の物語
国の始まりに関しては、「創世記」の中の「天地創造」で知ることができます。旧約聖書では、ひとりの神が、人間を含むすべての自然界を創り出したということが、押さえどころでしょう。
気になるのは、5日目に「クジラ」がでてきたこと。ここで固有名詞がでてくる理由が分かりませんが、聖書の中での「クジラ」は、神聖な動物のひとつのようです。とはいえ、6日目で人類の食糧に関連する「家畜」が登場することから、価値に違いがあるのでしょう。捕獲することや食用として扱うことの良否の基準がよくわかりません。
他国にとって価値あるものも、自国にとって、その価値観は全く異なる、という状況は、現代社会でもよく見られるものです。それぞれの価値を認め合う形が望ましいと、わたしは思うのであります( ̄_ ̄ i)。
▮アダムとイヴの誕生
さて、6日目に、土(アダマ)の塵からアダム(男)が創られ、鼻に息を吹き込まれます。人間の誕生です。そして、アダムの肋骨からイブ(女)が誕生。男から女が作られた、ということですね。(ギリシャ神話とは逆のプロセスだ)
二人は、エデンの園で自然とともに何の制限もなく(善悪を知る木の実を食すことのみ不可ですが)、自由に暮したわけです。神はアダムに信仰を求めませんでした。ですので、このまま過ごしていれば、何事も、起こらなかったのに。。。(_ _。)。
▮禁断の実を食べたイヴ
仲良く暮らしていたアダムとイヴですが、蛇の形をしたサタン悪魔に、イブはそそのかされてしまいます。欲望があらわになり、禁断の実を食べてしまったンです。人間に知恵がついた、と判断した神は、「これは、神に近づく予兆だ\(*`∧´)/」として、二人を、エデンの東方に追放してしまいました。
▮バベルの塔は実在したのか
やがて、人間はエデンの東方に街を造り、懲りずに、天にまで届く塔を建て始めたンです。「おお、また、神に近づこう、というのかヽ(`Д´)ノ」と怒った神は、人々に異なる言葉を与えてしまいました。このことから、民衆は、共同作業ができなくなり、バベルの塔建設は挫折したということです。
ヘンドリック・ヴァン・クレーヴ (1587)
バビロニア王国には、ジグラットと呼ばれる塔が点在している、といいます。これが「バベルの塔」であるかどうかは、ネットで調べるのが一番です。古代エジプトの、サッカラの階段状ピラミッド(BC2600年頃)が、もっとも古いピラミッドとのことですが、ジグラットが、その原形ではないかとも言われています。
◆サルトルはいいました
フランスの哲学者「サルトル」は、「聖書では、土から人間を作られた」というけれど、「聖書は人間が作ったものではないの?」との、疑問を呈しました。
ギリシャ神話は、詩人のホメロスや歴史家ヘロドトスの過去からの伝承がベースとなっており、日本神話も稗田阿礼の記憶をもとに書かれました。その意味で、旧約聖書も、いろいろな人が関わって完成されたものと考えれば、いずれも人間が作成したものであるという考え方に、間違いはないように思います。