イザナ岐とイザナ美の島造り/国造り
古事記の物語は、造化三神、別アマツ神、神世七代の神々を創造した後、イザナ岐、イザナ美が、島を造るところから本格的な国造りが、始まります。
日本の国土は、最初は「①淡路島」。続いて「②四国」、そして「③隠岐島」「④九州」「⑤壱岐島」「⑥対馬」「⑦佐渡島」「⑧本州」の順番で造られ、これらを大八島と名付けました。さらに、小豆島や女島(ひめしま)など六島を生み、国つくりというよりも、むしろ島造りを終わらせたのでした。
どのように、この島造りがなされたのか、その経緯を解説しましょう。
別アマツ神(5神)の命を受け、イザナ岐とイザナ美は、天浮橋(あまのうきはし)に立ち、天沼矛(あまのおぼこ)にて、混沌とした国土が漂う海を、掻き回したということです。ギリシャ神話にしても、旧約聖書にしても、混沌とした中から世界が誕生するというのは、共通しているようにも思えます。
そして、天沼矛を引き上げたときに、最初にできた島が「オノゴロ島」。二神はこの地に降り立ち、天の御柱を立てたました。
この柱の周りを二人は別々に巡り、落ち合った際に、イザナ美が誘い最初の国を造ったわけですが。。。。できた国は、ぶよぶよの未熟な島「ヒルコ」と「淡島」。結局、この二島は成立しませんでした。推古天皇の頃は、中国からの儒教の影響が強く、男尊社会であったことから、女性から誘うことが許されていなかったようで、それを暗示するため、このようなシナリオを構成したともいわれているようです。
この出会いについて、古事記では、非常に刺激的な言い回しがでてきます。
「吾が身は成り成りて、成り余れるところ一処あり。この吾が身の成り余れる処を、汝が身の成り合はざるところに刺し塞ぎて、国土生みなさむと思ふはいかに。」
古典的な言い回しですが、当時としては、それほど気にはしていなかったのでしょうか。若い時分は、どきっとしたものです(@ ̄Д ̄@;)」
「楽しい古事記(阿刀田高著)」の中で、ジョークを紹介しています。
『太古の時代、革袋を縫って人体を創るときに、半々に切るべき縫い糸を6:4に切ってしまった。長い糸で縫い終わると、少し余ってしまったので、脇の皮膚をつまんで、クルクルと巻いて棒を作った。短い糸の方は、縫いきれず、そのまま残った。これが、男と女の誕生であったとか。。。。』
はてさて、一体、どこの国のジョークなんですかね。
ユダヤ教では、割礼という儀式があります。ここで言う、余った糸を切るようなもンですね。ユダヤ教の戒律の厳しさに、異を唱えたのがイエスですが、ゲッセマネの園でつかまってしまいます。。。。その話は、またいつか。
さて、
イザナ美はイザナ岐は、オノゴロ島の御柱を回り、出会ったところで、イザナ美が誘い、まぐわったのでした。まぐわう:これは、阿刀田高的表現ですが、この後は、比較的おとなしめの、この表現で使うことにします(;^ω^A。
古事記の中では、女性が始めに誘ったから、未熟な島ができたのだ、としています。が、実際には大陸から伝わった儒教の教えを説くための話、と考える人もいるようです。なるほど。φ(.. )
バレンタインディーを過去に持ち込んだら、歴史が変わったかも。
そこで、今度は、イザナ岐から誘い、
「①淡路島」「②四国」「③隠岐島」「④九州」
「⑤壱岐島」「⑥対馬」「⑦佐渡島」「⑧本州」と生み、これを大八島(日本のこと)と名付けました。
さらに、小豆島や女島(ひめしま)など六島を生み、
国つくりといいますか、島造りを終わらせたのでした。
フーテンの寅さんの口上にも
『国の始まりが大和の国、島の始まりが淡路島、泥棒の始まりが石川の五右衛門なら、助平の始まりが小平の義雄、ね、続いた数字が二、仁吉が通る東海道、憎まれ小僧が世に憚る。仁木の弾正はお芝居の上での憎まれ役。ね、お父さん、これ買ってよ、ダメ? ケチ、三、三、六歩で引け目がない。産で死んだが三島のおせん。おせんばかりがおなごじゃないよ。』
というのがあるように、最初は淡路島という、古典に沿った教育が行われてきたんですね。それにしても、寅さんのような、いわゆるテキヤさんの口上は面白い。
で、なぜ、最初が淡路島で、その後、四国、九州と続き、最後に本州を作ったンでしょう。私見を述べさせていただけば、最初に大和朝廷の支配地域を作り、それから非支配地域である熊襲(くまそ)のいる九州、蝦夷(えみし)のいる本州とすれば、なんとなく、順番が理解できるような気がしないでもないです。
いずれにしても、これらの話も、覚えておく必要はないです。イメージとして頭に入れ、忘れましょう!(^ε^)♪
大分県の国東(くにさき)半島の横にある姫島(古事記の中では女島)は、後ででてくるので、地図で位置だけを確認しておいて方がいいでしょう。