【忙中閑話】人生を楽しく生きる「よかった思考法」を思いついた
小泉純一郎という政治家がいます。彼が首相の時代、時おり政治を離れオペラをはじめいろいろな舞台を見に行く、というニュースがよく流れていました。そんなニュースを見ながら、彼が当たり前に発する文言に、「あれっ?なんか変だな。」と感じることが、しばしばあったわけです。
それは、観劇後にインタビューに答える
「いやぁ、よかった。感激した。」
という言葉。
小泉氏自身は、観戦、観劇した後に、その印象を素直に述べているわけで、なんらおかしいことはありません。しかし、どこへ行っても、何があっても、言うことが同じなんですね。どうも、作為的にみえてしまう。若干の懐疑心はあるものの、「役者を褒める」わけで、私自身、よい印象を持っていたことは間違いありません。
国家の長たるものの発言が、社会に与える影響は多大なものがあります。特に個人に対しては「褒めてやらねば、人は育たず」の言葉のとおり、悪いところを指摘、非難するよりも、よいところを褒めてやらなければ、本人のやる気が失せるものです。公衆の面前で批判するならば、なおさら相手に恥をかかせることになってしまいます。
もちろん、票の行方にも大きく影響するので、「褒め言葉」しかいえない、という環境であったことは否定できませんが。
しかし、どこへ行っても、何があっても、
言うことが決まっているように思えるンです。
幕が閉じた後、記者が「何が、よかったンですか?」と聞くと、小泉氏は、面白かったところを的確に答える。時には、一般の人が気が付かないささいなことを言うこともあり、「そんなとこまで見ているンだ。」と、観察眼の鋭さに感心したものです。
一連の行動には、何の不思議もありませんでした。
でも、何か変なンです。
まわりもうすうすは感じてはいるものの、それが、何だか、わからない。
ある時、ふっと思い浮かびました ∑ヾ( ̄0 ̄;ノ。
それは、
「最初から、言うことを決めている」
のではないか、ということ。
実際に行動する前に、最期を「よかった」と結論付けるためには、その途中「いい結果を想定した理由」を探しだしていかねばなりません。ですので、観劇しているときは、神経を集中させて「いいこと」を見つけ出す努力をしているわけですね。
それは、仮説の正当性を後から補完するような「帰納法的前向き思考」とでもいうのでしょうか。「何ごともまず『よかった』と結論付ける」。「なんで?」という理由は、あとから考える、ということがミソのようです。
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「ネガティブ情報」を集め、順序だてて思考をすれば「結果が悪くなる」のは当然であるように、あらかじめ
◆「悪かった」をイメージすると、「ネガティブ情報」に目を向けるようになり、
◆「よかった」をイメージすると、「ポジティブ情報」に目を向けるようです。
「帰納法的前向き思考」という意味では、人の見方にも通じるところがあります。
「イヤな上司」のいいところ・・・そんなところはありません。
「イヤな上司」には、イヤなところばかりしかありません。
◆良い結果をイメージして行動すると、
多少の障害があっても、いいことをやろうと考え、
◆悪い結果をイメージして行動すると、
多少の障害にも勝てず、悪いことを考えてしまうものです。
話を聞いていくうちに、不必要なものを買わざるを得ない状況になることがありますが、最初に「買わない」と決めておけば、「買わない理由」に着目するので、無駄な買い物はしないようにも思います。
お寿司のネタは色とりどり。わたしは、マグロが好きなので「赤いネタ」が目に入ります。しかし、カミさんは、うにがお好き。ゆえに「黄色いネタ」に目がいくことから、きっとそれぞれには、以下の写真のように見えるかもしれません。
あー、うまそー。
「社会情勢は悪化している」と結果を想定すれば、新聞などのニュースの多くは、「悪化」している要因が書かれているようにみえる。書き手と読み手の意識の違いによって、伝わるニュースの解釈に違いがでてくるというのは、興味深いことです。
先日、昔の会社の仲間たちと飲みましたが、とても「よかった」ですね。
よかった理由?・・・・これから考えます。