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「考える」ということを考える

▮「忘れる」ということ

かつて「覚える」ことは、わたしの得意技のひとつでした。しかし、年齢を重ねるとともに、「忘れる」ことが上回るようになってきたのです。意識的に「覚える」技術に磨きをかけても、いつのまにか「忘れる」技術が高まってきてしまいました。


赤瀬川原平は、その著書「老人力」の中で、

人は老いて衰えるわけではなく、

ものをうまく忘れたりする力、

つまり老人力がつくと考えるべきである。

と述べています。それにしても「忘れる」ことが、多くなるのはいやですね。一度忘れたら、もう思い出すこともできないですし、思い出せなければ、考えることさえもできないのですから。

そのような時でした、鷲田小彌太の著書「自分で考える技術本」に出会ったのは。その著書の中のことばが、わたしに勇気を与えてくれました。

忘れることは考えることのひとつである。

「忘れる」ということは、いろいろなことを考えるにあたって、非常に大切なことなんですね。いつまでも「覚えて」いると、そればかりが気になって、新たな発想がなかなか浮かばないものです。ときには、自分の記憶や、価値観を払拭して考えることも重要です。

その意味では、「忘れる」ということは、哲学者のフッサールのいう「判断停止(エポケー:epokhe)」状態なのかもしれません。頭の中が空っぽになれば、新しいことをどんどん吸収できる、というわけです。


さて、「忘れる」ことが決して悪いことではないとなれば、問題は何か。それは、「思い出せない」ということ。この「思い出せない」という部分を押さえておく必要性があります。当然ながら、忘れてしまったことは、思い出せるわけはありません。それでは、後からたやすく思い出すためには、どうすればいいのでしょうか。

これは、難しいことではありませんでした。結局は、キチンと「忘れる」ようにすればいいということが分かったからです。

 

* 「老人力 全一冊」赤瀬川原平:ちくま文庫(1998)

「自分で考える技術―現代人のための新哲学入門」鷲田小彌太:PHP研究所(1998)  

 

 

▮「分かる」ということ

時折、ふと「分かった!」という瞬間があります。


ずっと、疑問に感じていたこと。それが、頭の中で次々に解き明かされます。こういう時は、脳内に立ち込めた霧のようなモヤモヤが、一気に吹き飛んだような感覚になりますね。


「忘れる」ことは考えることのひとつ、とはいうものの、キチンと忘れるためには、事前にその出来事をよく分かっておかなければなりません。ここで、「理解する」ことと「わかる」ということの違いを、長尾真の著書「分かるとはなにか」を参考に考えてみました。

 

まず「理解する」というのは、自分の持っている情報を繋げていって、結論を得るということ。

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「分かる」とは、常々、「不思議だなー」とか、「おかしなー」とか、疑問をもっている人の情報が、突然、つながること。

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ある仮説を

「AがこうなってBになり、BがあーなってCになり・・・、
ここで、こうすれば、結論はZになります」

と順番に話し検証することで、正しい説明となり、理解も深まりますが、それでは、時間もかかるし、余計なものまで記憶しなければなりません。

「分かる」とは、これまで散在していた知識が、ある仮説でひとつにつながる、ということから、仮説を、話の結論として、相手に伝えることにより、話が早く済みますし、余分な記憶容量も必要ありません。

 

よく会話の途中で、「早い話が・・・」という言葉を耳にします。論理的に説明して、相手の理解が得られないときに、簡潔に結論を言ってしまうこと。結論から説明するため、話が早く済む上、双方が少ない記憶容量で、ある程度の理解が得られる、というわけです。とはいえ、正しく伝えるという「正確さ」にはやや欠けますが。

 

古事記を「ジ」の字で忘れる」という考え方も、「ジ」という形やイメージとして覚えるわけですので、ひとつの仮説的結論といえるのかもしれません。

 

******** 

「子ども電話相談室」という、1964年から2008年まで、44年間続いた長寿ラジオ番組がありました。その番組の中で、「電話のお姉さん」が、先生の答えの後にいうお決まりの言葉があります。

 

それは「○○ちゃん、わかったかナー?」です。

子どもは「ウン、わかったヨ。」と答えます。

さらにお姉さんは、ツッコミます。
「ちゃんと、お母さんに話せるかナ?」

当時、この会話を、ほほえましく聞いていたものです。

 

しかし、なぜお姉さんは、2回も聞くのでしょうか。ものごとをキチンと理解するとは、どういうことなのか、そのようなことを含む会話のように思いました。

最初の「わかったかナ?」は、大人言葉で「理解しましたか?」後の「お母さんに話せるかナ?」が、このテーマである「分かった」ということなんです。

 

初対面の人と話をする際、一番困るのは、相手が、どの程度の知識を持っているか分からない、ということ。まず、手短かな話題を話し、質問をしながら、その反応を見て、お互いの共通した知識モデルを設定していくのでしょう。その意味で、本題に入る前の対話はとても重要です。

本題に入った際、「分かる」ということと、「理解する」ということの違いを捉えておくことにより、相手の理解の度合いがわかってくるはずです。「わからないこと」を自分なりに理解した後に、他人に説明できるかどうかが、おおきなポイント。そのためには、本質的な意味を理解しておくことが大切です。

 

本当に「分かる」ためには、「どうしてなんだろう?」という疑問や、好奇心を持っている必要があり、人の話を理解した後、自分のシナリオに組み入れる、ってところでしょうか。


この古事記にしても、ギリシャ神話にしても、読んだみなさんが、他の人に話せなければ、分かったことになりません。生意気にも「どうしたら、他の人に話せるだろう」ということを頭に入れ、書いているってわけです。

 

「わかる」とは何か」長尾真著(岩波新書713:2001  

「一語一絵」眞木準著(宣伝会議:2003)

 

 ▮「考える」ということを考える

年とともに、次第に忘れっぽくなりました。綾小路きみまろの小話には、いつものことながら、共感を覚えます。常々、忘れないようにとメモをとるのですが、そのとったメモが、どこにあるかを忘れてしまう。さらに悪いのは、何かを忘れたということも思い出せない。

そこで、なんとか、これを切り抜ける方法を、いろいろ考えてみました。

わたしの場合、無意識に「図」という形でイメージ化することで、いろいろな物事を理解しようとしてきました。いろいろ考えた末、「考える」「忘れる」「思い出す」という思考の過程を繰り返すことで、これをどうやらしのぐことができたようです。

 

「図」というのは、面白いもので、それはまるで、数式を解くことによく似ているものと思います。そのように図にしてみると、どもこれだけでは、まだ、何か足りないような気がしていました。そこで、このサイクルを「知識創造企業」の概念図に照らし合わせてみたわけです。

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 「忘れる」というのは、暗黙知として「内面化」すること、「思い出す」ということは、形式知として「共同化」するということになりますが、「考える」ということがあてはまりません。そこで、「みつける(表出化)」、「わかる(連結化)」を加え、「考える」を中心に据えてみたると、なんとかなく形になるようです。

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何かを「みつけた」ならば、これを「わかる」ために図式化し、そして「忘れる」。
「忘れた」(思考停止)上で考え、さらに自分の脳内のメモリー(一時記憶装置)にイメージを展開し「思い出す」。このようなサイクルを繰り返すことにより、新たな発想と発見が生まれる、というわけですね。

 

「知識創造企業」野中郁次郎・竹内弘高・梅本勝博著(東洋経済新報社:1996)

「イメージの心理学」河合隼雄(青土社:1991) 

 

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