黄泉の国へ旅だったイザナ美
島造りを終えた、イザナ岐とイザナ美は、住居・海・河・水・風・木・山・野・土・霧・谷・船・食物などの神を、次々に創り出しました。古事記の中では、それぞれの逸話の中に登場しますので、なんとなく覚えていれば、よろしいかと。
代表的には
海の神「オオ綿ツミ(大綿津見)<長男>」:「ニニギ降臨後」に登場
山の神「オオ山ツミ(大山津見)<次男>」:「ニニギ降臨後」「国譲り一回戦」
船の神「天ノトリ船(天の鳥船)」:「国譲り三回戦」に登場
など。
やがて、火の神「カグ土(迦具土)」を産んだことにより、イザナ美は大事な御陰(ほと)に大やけどを負ってしまいました。病床の身でありながら、その後、嘔吐(へど)、糞尿からも神々を生み出します。その尿から生まれた神が、食の神「豊ウケ姫(豊宇気比売)」というのですから、よくわからない。
結局、35神を産みだしたとのこと。
イザナ美は、やけどが致命傷となり、黄泉の国(よみのくに)へ旅立ってしまいました。黄泉の国とは死者の国のことです。
愛するイザナ美を失った悲しみからイザナ岐は、十拳剣(とつかのつるぎ)で、
火ノカグ土を斬ってしまったのです。この時の、涙や、血のり、身体から、合計16の神が生まれました。 この中には、後にでてくる「国譲り」の中に登場する「建ケミカズチ(建御雷)」も含まれています。
殺された火ノカグ土は裂石となって、宮崎県の「東霧島神社(ツマキリシマ)」他に祭られているとか。
さて、、、、(ここからは、ネットにたくさん掲載されているお話)
愛おしいイザナ美を失ったイザナ岐は、なんとか一目だけでも会いたいと、長いトンネルを抜け、黄泉の国へ向かったのです。扉までたどり着くと、中のイザナ美に自分の想いを伝えます。しかし、そこは死者の国。すでに、死者の国の食べ物を食べたイザナ美は、もう戻ることはできません。
どうやら、古事記を後述した「稗田阿礼」は、時代の流れからいって、古墳をイメージしているような。時代考証は別途考えるとして、なにやら、おどろおどろした情景が思い浮かびます。
イザナ岐のあまりの思いにイザナ美は、「戻れるかどうか聞いてみますので、どうか扉を開けないでください。」と扉の向こうから、イザナ岐に伝えました。
このくだりは、「鶴の恩返し」を思い起こさせますね。「ダメヨ、ダメダメ!」と言われてしまうと、ますます、その思いは強まってしまうものです。
イザナ岐は、しばらく待つものの、とうとうこらえきれず、扉を開けてしまったのです。そこには、見るも無残なイザナ美の姿がありました。びっくりしたイザナ岐は、来た道を慌てて引き返したのですが、「一度、黄泉の国に来たものを帰すわけにはいかない!」とばかりに醜女が追いかけます。
そこで、黄泉の国の入口付近にある比良坂(ひらさか)のあたりで、持っていた十拳剣(とつかのつるぎ)を振り回して追い払い、さらに、そばにあった桃の木の実を投げつけ、むさぼりついている間にようやく出口にたどり着いたのです。。しかし「わたしの恥ずかしい姿をみたな」と怒りに狂うイザナ美が追いついてきました。そこで、イザナ岐は大きな石を持ってきて、出口を塞ぎ、永遠の別れを告げました。
愛した人が亡くなることは、とても悲しいです。ある葬儀の初七日の法要の時、お坊さんは言いました。「身体はなくなっても、あなたが想っている限り、愛する人の魂は、なくなることはありませんよ。」と。自分の心が、すこし癒されたことが、思い出されます(ノ_-。)
さて、長くなりましたが、このストリー性に富んだ逸話をまとめると、以下の図のようになります。
この逸話を、古事記の想起文字(アナロジー)「ジ」に置き換えると、最初のチョンと、最後のテンテンのひとつに位置されます。集中してイメージを焼き付けましょう(腑に落とすってことでしょうか)。
焼き付いたら、この話は、忘れましょう ∑ヾ( ̄0 ̄;ノ