オオ国ヌシとスセリ姫とオシリスとイシス
白ウサギのおかげで、ヤガミ姫の旦那は、意外とすんなりオオ国ヌシに決まってしまいました。しかし、ノーマークであったオオ国ヌシに、ヤガミ姫を持っていかれてしまっては、腹の虫がおさまらない。兄弟たちは、一斉に襲いかかり、オオ国ヌシに火傷を負わせ殺してしまいました。
オオ国ヌシの母神は大層悲しんで、何とか生き返るよう、神ムス日の命(造化三神)に頼み込むと、キサガイ姫とウムガイ姫をつかわし、火傷を治し生き返らせてくれたのです。それをみた兄弟たちは、今度は大木に挟んで瀕死の重傷を負わせます。
母神が助け出し、より安全なスサノウの住む「根の堅洲の国」に送り出しました。ここで出会ったのが、スサノウの娘スサリ姫。双方、一目ぼれしたのか、愛をはぐくみます。これを知った父スサノウは、娘を奪われまいと難題を押し付けます。
オオ国ヌシは、スセリ姫の入れ知恵もあり、この課題を次々にクリア。スセリ姫を連れて出雲の国に凱旋。スサノウからもらった武器で、兄弟たちを打ち倒します。スセリ姫を正妻に迎えたわけですが、せっかく争って結ばれたヤガミ姫。さみしく故郷に帰ったそうです。ちょっと可哀想。
やがて、神ムス日の息子である、スクナ彦ナがやってきて、オオ国ヌシと国づくりに邁進したそうな。
さて、このオオ国ヌシが、殺されては生き返る場面。それはエジプトの神話の中にもでてきます。いろいろありまして、、、、弟セトはエジプトをわがものにしようと、兄オシリスを殺し、二度と生き返らぬよう身体をバラバラにした上、カナンの地に埋めてしまいました。そこへ妻イシスが現れ、バラバラになったオシリスの身体を集め、生き返らせてしまったのです。
面白くないセトは、再びオシリスを殺しバラバラにした上、エジプトの全域に散布。子孫を残したくないと考えたのか、ペニスをナイル河に投げ捨ててしまったのですが、悪いことにそれをナマズが食べてしまいました。
再び、イシスが現れ、鳥となってオシリスの身体を集め、生き返らせてしまったのです。やがて、オシリスとイシスの間に息子ホルスが生まれ、セトはホルスに殺されてしまった、というエジプト神話。時と場所は違えども、オオ国ヌシと兄弟の話にも似ているような。
そもそも、ペニスのないオシリスに子どもができるのか!とセトはクレームをつけたそうですが、この神話が「マリアの処女受胎」につながったとか。
オシリスとイシスの話が若干ややこしいので、一覧図にしてみましたが、ここでの三角形は、いろいろな示唆を与えてくれました。
オシリスの神話についての詳細は、以下、ブログを参照願います。
♦かなめのエジプト文明|古代日本の歴史とギリシャ神話を覚えて知力アップ(まとめる力を身につけよう)
*これまでは、こちらにも古事記を載せていましたが、古事記はHatenaに集約することにします。そのうち、ギリシャ神話もHatenaにしようかと。。。。
オオ国ヌシとイナバのヤガミ姫
スサノウは出雲の国に降臨した後、スサノウは、母イザナ美の「黄泉の国」に近い「根の堅洲の国」に落ち着きました。
次に、話は、出雲の国の成り立ちに移っていきます。
出雲の国の主人公は、何といっても「オオ国ヌシ」。オオ国ヌシの人柄について、古事記では、「因幡の白兎(イナバの白ウサギ)」の物語を用いて解説しています。
この話自体は、ヤガミ姫とオオ国ヌシの出会いについての逸話であり、古事記(712年)の後に完成した本書紀(720年)には掲載されていません。古事記編纂者の、出雲の国への気遣いがみてとれるような気がしますね。
オオ国ヌシ(大国主命:オオクニヌシノミコト)には、たくさんの兄弟がいました。気の優しい大黒様のようなオオ国ヌシは、別名オオアナムジと言われるように、他の兄弟から従者のように扱われ、荷物担ぎなどの重労働を課せられていました。
鳥取県の山奥の因幡八上郡(現在の鳥取県八頭郡らしい)に、大そうきれいなお姫様が住んでいたそうな。それが因幡(いなば)のヤガミ姫。オオ国ヌシの兄弟は、このお姫さまをお嫁さんにしたいと思い、出雲の国から、海岸に沿ってプロポーズの旅にでました。皆の荷物を担がされたオオ国ヌシは、急ぐ兄弟たちの遥か後方。
すると、途中(鳥取空港の少し手前の白兎海岸あたり?)で、丸裸のウサギが、ぐったりと横たわっていたのですが、意地悪な兄弟たちは、哀れに思うふりをして、
「塩水で洗って、山の上で、よく風に当たるといい。」と伝えたのです。
ウサギはその通りにしたところ、なおさら痛くなったのはいうまでもありません。痛さのあまり泣き叫んでいたところへ、遅れをとっていたオオ国ヌシが現れたンです。
訳を聞くと、どうやら、隠岐の島に住むウサギが、「ワニザメと自分の仲間の数を競いたい」とワニザメを本土まで並ばせ、数を数えるふりをし、まんまと本土に渡ったということ。
しかし、それは、単にウサギが本土に渡りたいがためについた嘘。無事、本土にたどり着いたところで、嘘をバラすと、怒ったワニザメはウサギを海に引きずり込み、丸裸にしてしまいました。
オオ国ヌシは、「真水で洗い、蒲の穂綿でくるむといい」と親切に教え、ウサギがその通りにすると、体は見事に回復。ウサギは、オオ国ヌシに大いに感謝し、
「あなたこそ、ヤガミ姫の旦那にふさわしい」
と予言したのでありました。
というのが、イナバの白ウサギの物語。
ところで、先のGoogle地図を見ると、白兎海岸から隠岐の島までの距離は、約80kmほど。ワニザメの幅80cmとすると、、、、、10万頭ほど集めなければなりません。ウサギがオリンピック級のマラソンランナーであったとしても、渡るのに4時間以上はかかることになります。
「とっとり観光案内HP」によれば、白兎海岸の目の前に「淤岐の島(おきのしま)」があり、ここに兎が住んでいたとのこと。なるほど、ここならば、距離的にはワニザメを並ばせ、渡ることができそうです。
とはいえ、隠岐の島は海上の要所。本土への使者は、時折、襲われることがあるらしい。『使者を丁重に扱うことで、よい心証をヤガミ姫にもたらせることができる』ということを暗示していたのではないかと、阿刀田高は推察しています。
さらに話のスケール感を上げるために、遠くの隠岐の島を舞台にしたのではないかとも。そういう背景もあったのかもしれません。
さて、ウサギの予言どおり、ヤガミ姫は、オオ国主を選び妻となり、ハッピーエンドの感がありますが、同時にプロポーズしていた兄弟たちは、このまま済ますわけにはいきません。一斉にオオ国ヌシに襲い掛かります。
この逸話によく似た話が、ギリシャ神話で、トロイア国の王子パリスとスパルタ国の王妃ヘレネが登場する「トロイア戦争」の物語。
絶世の美女で結婚適齢期のヘレネに対し、ギリシャ中の国王が結婚を申し込む。あまりの多さに逆恨みされぬよう、養父テュンダレオスは「ヘレネが誰を選ぼうともこれに従い、ヘレネを奪う者あれば全員でこれを阻止する」旨の誓いをたてさせます。やがて、ヘレネはスパルタ王のメネラオスを選び、めでたく結婚。
そこへ、隣国トロイアのパリスが、奪い取っていったわけで、求愛者であった国王たちは黙っているわけにはいきません。かくして、この事件が、トロイア戦争が勃発した契機となりました。
「イナバの白ウサギ」のお話は、オオ国ヌシとヤガミ姫の出会いの物語。やがて、兄弟たちに逆恨みされたオオ国ヌシは、ひどい目にあったことから、根の堅洲の国のスサノウに助けを求めにいくことになったわけです。
物語の構成を考えてみる
古事記には、腑に落ちない点がいくつかあります。そのひとつが、物語の構成。ギリシャ神話の物語としての構成から、古事記の枠組みを探ってみたいと思います。
▮トロイア戦争を概観する
さて、有名なトロイア戦争の物語はギリシャ神話の中に登場します。この解説は、なかなか難しいです。説明する際の構成を考えず、興味本位に話していくと、その主体がわからなくなり、聞き手は混乱してしまいます。そもそも、どの物語から読んでいいかわからないンですね。
トロイアは、エーゲ海の東、現在のトルコ北端に位置しますが、エーゲ海を挟んだ西には、多くの神々が誕生した地であるギリシャの島々があります。トロイア戦争は、紀元前12世紀から13世紀ころエーゲ海を挟んだトロイ王国とギリシャ連合との覇権争いといわれています。
紀元前9世紀に、吟遊詩人のホメロスが、トロイア戦争の10年間と、オデッセウスが帰還するまでの10年間を、それぞれ「イリアス」「オデッセウス」という抒情詩として詠い、後世に残しました。このトロイアにまつわる物語に感動したドイツの少年シュリーマンは、伝説の都市トロイアを探しつづけ、この遺跡を発見したといいます。
トロイア戦争の物語は、登場人物の多さもさることながら、出所も多岐にわたる上、さまざまな神が加担することから、より複雑性を増しているようです。
加えて、カタカナの西洋人の名前を、誕生の経緯を含め覚えることは、日本人にとって容易なことではありません。もっとも、名前は正確に憶えなくとも、その背景を知ることで、トロイアの物語をより深く楽しむことはできるかと思いますが。
ギリシャ神話の一覧図から、トロイア戦争に関する逸話の登場人物・神々をハイライトしてみました。(関連する神々はまだいるのですが、とりあえず割愛します)
トロイア戦争は、ギリシャとトロイアの間に勃発した戦争。そこで、トロイア戦争に関するところだけを拡大してみました。下図の左上の水色の枠内が「トロイア軍」。その他は「ギリシャ連合軍」に属す人々。
面白いもので、勝者のギリシャ連合軍にはゼウスの末裔がいて、敗者のトロイア軍はゼウスとは関連していません。トロイアの王子パリスは、トロイア戦争より以前の時代「美女コンテストでの審判」という逸話に登場します。その話の中でパリスは、世界一の美女として、ゼウスの息のかかった「ヘラ」と「アテナ」を選ばず、祖父ウラノスの血を引くアプロディテ(ヴィーナス)を選んだのです。敗者の集団に、ゼウスの末裔がいては、うまくなかったのかもしれません。
当初は、トロイアもスパルタも、それほど敵対する間柄ではありませんでした。この戦いは、トロイアの王子パリスとギリシャの王女ヘレネが恋に陥ったことに端を発していることから、生まれ出た人間の愚かさを象徴しているように思われます。
またパリスが登場する以前、スパルタ国の絶世の美女ヘレネは、数多くの花婿候補者が争う中、スパルタ国の王メネラオスを、結婚の相手として選択。と、ここまではよかったのですが、トロイア国の王子パリスが、スパルタ国の王妃になったばかりのヘレネに一目ぼれ。強引に奪い去ってしまいました。ヘレネもまんざらではないことから、不倫と知っていながら、パリスについていってしまったンです。
このため、スパルタ国の国王だけでなく、かつてのヘレネの花婿候補者であった人々も、パリスを目の仇に、さらにはトロイア国そのものを標的にしたというわけです。
▮ギリシャ神話は忠臣蔵
阿刀田高は、このトロイアの物語の構成を「忠臣蔵」のようだ、と表現しています。「忠臣蔵」に登場する赤穂浪士47名には、それぞれに事情がありながら、最終的に討ち入りを実行。主君の仇である吉良上野介を討ち、その目的を達成します。物語としては、単に討ち入りの際の立ち回りだけでなく、各浪士の「誕生物語」を知ることにより、「忠臣蔵」という物語の深みが増幅する、というわけですね。
討ち入りが「見せ場(全体)」であり、それぞれの誕生物語が「背景(部分)」という考え方からすれば、時折、上映や上演される「仮名手本忠臣蔵」は、見せ場である「討ち入り」から始まることが多いようにも思えます。
ギリシャ神話は、ホメロスが史実に基づきトロイア戦争(見せ場)を詠い、その後の人々が、登場する英雄にまつわる各地の伝承(背景)を関連つけたことで、完成に近づけたと考える方が、自然なように見えます。
しかし、ギリシャ神話に関連する書籍の多くは、ゼウスを取り巻く神々の創成物語(背景:部分)をテーマにしたものが多く、実在の可能性があるトロイア戦争などの英雄の冒険物語(見せ場:全体)については、とってつけた形で説明される例が多いように感じます。前後半を章立てすると、以下のようになるでしょうか。
▮ギリシャ神話(第一章):ゼウスを取り巻く、オリンポスの神々の創成物語
▮ギリシャ神話(第二章):英雄の冒険物語(トロイア戦争、アルゴー船東へ)
「忠臣蔵」のように、ギリシャ神話も見せ場(第二章:トロイア戦争)から解説する図書もあるかとも思います。これからも探していきたいところです。
▮結果を知りつつ、背景を読み取る
見せ場(オチ)を最初にあからさまにしてしまうことは、物語の面白さを半減させてしまうかもしれません。ミステリアスな物語は、奇想天外な筋書きが続き、さらにこれまでの流れがひっくり返るような驚きを与えるため、結末が最初から分かってしまうと、これほどつまらないものはないでしょう。結果がわかってしまっては、繰り返し見ることもないような気がいたします。
一方、いろいろな名作は深く読み込まれ、その読者の多くは結果を知っています。
ロメオは、バルコニーから身を乗り出すジュリエットに、その想いを告げた。その誕生の秘話を知りたくのめり込んでいく。マリーアントワネットは何故、あのような残酷な目に合わなければならなかったのか。衝撃的な結果は、そこまで至った背景に関して知りたくなるものです。
このように語り継がれる名作の結末は、すでに広く周知されています。しかしながら、評価の高い物語は、結末がわかっていても、繰り返し見てしてしまうもの。物語の結末を最初に知ってしまっては、もともこもありませんが、得てして、その形態の方が物語の永続性という面で考えれば、深みがでてくるものです。常々、結果が予想できる「フーテンの寅さん」はその好例でしょう。
現代社会は情報過多の時代。結果を知っていれば、その背景すべてを知る必要性はありません。結果を中心に、時間のある時に背景を読み解いていく方法が、今の時代には、合っているものと考えます。
▮見えない古事記の結末
フランスの哲学者サルトル曰く、『旧約聖書には、神が人間を造り出した、ということが書かれているが、聖書自体は人間が書いたものである』と。
ギリシャ神話にしても、古事記にしても、どこからが事実であるかはわかりませんが、少なくとも、これら文献は人間が書いたものでもあるわけです。改めて、古事記を概観してみると、そこには「背景(プロセス)」が描かれているだけで、「結果」については、よくわからない(ようにしてある)。その意味で、作者の意図が大いに感じられます。逆に、それが興味を湧き立たせているのかもしれません。
出雲の国に降臨したスサノウ
スサノウは、高天原から追放された悪者と位置つけられていますが、このままでは、話が丸くおさまりません。「一匹オオ神」的存在のスサノオを、ヒーローとして奉るために、オロチ退治の話が挿入されたのでしょうか。
高天原を追放されたスサノウは、やがて島根県と鳥取県の県境にある船通山(別名:鳥上山)付近に降臨。日本海に流れ出る斐伊川の上流でもあるこの地は、東の岡山県、西の広島県の県境にも近いことから、たいそうな山奥にあったようです。
スサノウが川辺にまどろんでいると、およそ人の気配のないこの川の上流から、なぜか「箸(はし)」が流れてきました。不思議に思って、川の上流を見に行くと小さな家を発見。中では、年老いた夫婦(足ナヅチと手ナヅチ)が、娘(櫛ナダ姫)を前に涙を流していました。
スサノウが訳を聞いてみると、この地では、毎年、ヤマタノオロチ(八岐大蛇流)がやってきて、娘を食べてしまうとのこと。すでに老夫婦の娘7人がその餌食になり、いよいよ最後の娘が犠牲になろうか、としている状況だったのです。
オロチの姿は、目玉は真っ赤に燃え、頭が八つ、尾も八つ、大きな山や谷を越えていくほどの体をもつ恐ろしい大蛇。スサノウは、娘の美しさに惚れたこともあり、嫁さんにすることを前提に、オロチに猛然と立ち向かいます。
八つの酒の桶を用意し、オロチにたらふく飲ませると、油断したオロチに向かって、十拳の剣(とつかのつるぎ)を「エイッ」とばかりに振り下ろし、身体を、ずたずたに切り裂いてしまいました。
しかし、しっぽの部分で堅いものにあたり、刃がこぼれてしまったのです。そこにあったのは、「草薙の剣(くさなぎのつるぎ)」といういわくありげな剣。ゴマスリの意味もあったのでしょうか、早速、高天原の天照ラスの神に献上。この剣は、降臨本番に登場する三種の神器のひとつになったことから、天照ラス大神の、喜びもひとしおだったのではないでしょうか。このことは、「出雲の人々を救った」という業績として高天原に評価された、と考えてもいいのかもしれませんね。
また、大蛇は斐伊川一帯の水神。体を表す川は鉄分の錆で赤く、眼は古代からの高炉火。毎年、洪水が襲うことから人身供犠(生贄)がささげられた、ということのよう。産鉄地であった出雲は、早くから鉄製の剣を生産。文化水準の高さを原動力とした勢力は大和朝廷を凌ぐことから、アマテラスの弟であるスサノウを配置。中央政権の礎を構築した、という説もあるようです。
さて、この老夫婦(足ナヅチと手ナヅチ)の古事記における位置づけを見てみましょう。この老夫婦の親は、山を司る神「オオ山ツミ」。さらにその親は、あのイザナ岐、イザナ美。ということは、イザナ岐とイザナ美から誕生したスサノウと、オオ山ツミは、兄弟ということになります。
つまり、スサノウは、兄弟の孫娘と所帯を持ったことになるわけですね。また、オオ山ツミには、海を司る「オオ綿ツミ」というお兄さんがいますが、この二神は、八千穂降臨の場面に登場するので、その際に説明することにします。
その後、スサノウは櫛ナダ姫とともに出雲の国を駆け巡り、須賀の地を安住の地として、ここに館を建て仲良く暮らしました。
やがて歳月は流れていき、「草薙の剣の献上」で業績を上げたスサノウは、母の住む(埋葬されている)「黄泉の国」にほど近い「根の堅洲の国」に腰を落ち着けることになった、というわけです。
高天原で誕生したばかりのスサノウの「母のところに行きたい」というわがままから、周囲を困らせましたが、「ヤマタノオロチ神話」にて、滞りなく収めた感がしないでもありません。
組織になじめない個性的な人材は、別天地で能力を発揮することもあります。高天原という組織になじめないスサノウは追放されたとはいうものの、出雲の国という新天地で能力を発揮。自らの夢を実現した、ということなのでしょう。
出雲の国の主といえば、この後に登場する「オオ国ヌシ」。スサノウと櫛ナダ姫の四代後の神といわれていますが、「オオ国ヌシ」とスサノウの繋がりには、なにか無理があるように思えてなりません。そもそもスサノウが、何故、出雲の地に降臨したのか。物語としての興味はつきません。
「考える」ということを考える
▮「忘れる」ということ
かつて「覚える」ことは、わたしの得意技のひとつでした。しかし、年齢を重ねるとともに、「忘れる」ことが上回るようになってきたのです。意識的に「覚える」技術に磨きをかけても、いつのまにか「忘れる」技術が高まってきてしまいました。
人は老いて衰えるわけではなく、
ものをうまく忘れたりする力、
つまり老人力がつくと考えるべきである。
と述べています。それにしても「忘れる」ことが、多くなるのはいやですね。一度忘れたら、もう思い出すこともできないですし、思い出せなければ、考えることさえもできないのですから。
そのような時でした、鷲田小彌太の著書「自分で考える技術本」に出会ったのは。その著書の中のことばが、わたしに勇気を与えてくれました。
忘れることは考えることのひとつである。
「忘れる」ということは、いろいろなことを考えるにあたって、非常に大切なことなんですね。いつまでも「覚えて」いると、そればかりが気になって、新たな発想がなかなか浮かばないものです。ときには、自分の記憶や、価値観を払拭して考えることも重要です。
その意味では、「忘れる」ということは、哲学者のフッサールのいう「判断停止(エポケー:epokhe)」状態なのかもしれません。頭の中が空っぽになれば、新しいことをどんどん吸収できる、というわけです。
さて、「忘れる」ことが決して悪いことではないとなれば、問題は何か。それは、「思い出せない」ということ。この「思い出せない」という部分を押さえておく必要性があります。当然ながら、忘れてしまったことは、思い出せるわけはありません。それでは、後からたやすく思い出すためには、どうすればいいのでしょうか。
これは、難しいことではありませんでした。結局は、キチンと「忘れる」ようにすればいいということが分かったからです。
*「自分で考える技術―現代人のための新哲学入門」鷲田小彌太:PHP研究所(1998)
▮「分かる」ということ
時折、ふと「分かった!」という瞬間があります。
ずっと、疑問に感じていたこと。それが、頭の中で次々に解き明かされます。こういう時は、脳内に立ち込めた霧のようなモヤモヤが、一気に吹き飛んだような感覚になりますね。
「忘れる」ことは考えることのひとつ、とはいうものの、キチンと忘れるためには、事前にその出来事をよく分かっておかなければなりません。ここで、「理解する」ことと「わかる」ということの違いを、長尾真の著書「分かるとはなにか」を参考に考えてみました。
まず「理解する」というのは、自分の持っている情報を繋げていって、結論を得るということ。
「分かる」とは、常々、「不思議だなー」とか、「おかしなー」とか、疑問をもっている人の情報が、突然、つながること。
ある仮説を
「AがこうなってBになり、BがあーなってCになり・・・、
ここで、こうすれば、結論はZになります」
と順番に話し検証することで、正しい説明となり、理解も深まりますが、それでは、時間もかかるし、余計なものまで記憶しなければなりません。
「分かる」とは、これまで散在していた知識が、ある仮説でひとつにつながる、ということから、仮説を、話の結論として、相手に伝えることにより、話が早く済みますし、余分な記憶容量も必要ありません。
よく会話の途中で、「早い話が・・・」という言葉を耳にします。論理的に説明して、相手の理解が得られないときに、簡潔に結論を言ってしまうこと。結論から説明するため、話が早く済む上、双方が少ない記憶容量で、ある程度の理解が得られる、というわけです。とはいえ、正しく伝えるという「正確さ」にはやや欠けますが。
「古事記を「ジ」の字で忘れる」という考え方も、「ジ」という形やイメージとして覚えるわけですので、ひとつの仮説的結論といえるのかもしれません。
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「子ども電話相談室」という、1964年から2008年まで、44年間続いた長寿ラジオ番組がありました。その番組の中で、「電話のお姉さん」が、先生の答えの後にいうお決まりの言葉があります。
それは「○○ちゃん、わかったかナー?」です。
子どもは「ウン、わかったヨ。」と答えます。
さらにお姉さんは、ツッコミます。
「ちゃんと、お母さんに話せるかナ?」
当時、この会話を、ほほえましく聞いていたものです。
しかし、なぜお姉さんは、2回も聞くのでしょうか。ものごとをキチンと理解するとは、どういうことなのか、そのようなことを含む会話のように思いました。
最初の「わかったかナ?」は、大人言葉で「理解しましたか?」後の「お母さんに話せるかナ?」が、このテーマである「分かった」ということなんです。
初対面の人と話をする際、一番困るのは、相手が、どの程度の知識を持っているか分からない、ということ。まず、手短かな話題を話し、質問をしながら、その反応を見て、お互いの共通した知識モデルを設定していくのでしょう。その意味で、本題に入る前の対話はとても重要です。
本題に入った際、「分かる」ということと、「理解する」ということの違いを捉えておくことにより、相手の理解の度合いがわかってくるはずです。「わからないこと」を自分なりに理解した後に、他人に説明できるかどうかが、おおきなポイント。そのためには、本質的な意味を理解しておくことが大切です。
本当に「分かる」ためには、「どうしてなんだろう?」という疑問や、好奇心を持っている必要があり、人の話を理解した後、自分のシナリオに組み入れる、ってところでしょうか。
この古事記にしても、ギリシャ神話にしても、読んだみなさんが、他の人に話せなければ、分かったことになりません。生意気にも「どうしたら、他の人に話せるだろう」ということを頭に入れ、書いているってわけです。
▮「考える」ということを考える
年とともに、次第に忘れっぽくなりました。綾小路きみまろの小話には、いつものことながら、共感を覚えます。常々、忘れないようにとメモをとるのですが、そのとったメモが、どこにあるかを忘れてしまう。さらに悪いのは、何かを忘れたということも思い出せない。
そこで、なんとか、これを切り抜ける方法を、いろいろ考えてみました。
わたしの場合、無意識に「図」という形でイメージ化することで、いろいろな物事を理解しようとしてきました。いろいろ考えた末、「考える」「忘れる」「思い出す」という思考の過程を繰り返すことで、これをどうやらしのぐことができたようです。
「図」というのは、面白いもので、それはまるで、数式を解くことによく似ているものと思います。そのように図にしてみると、どもこれだけでは、まだ、何か足りないような気がしていました。そこで、このサイクルを「知識創造企業」の概念図に照らし合わせてみたわけです。
「忘れる」というのは、暗黙知として「内面化」すること、「思い出す」ということは、形式知として「共同化」するということになりますが、「考える」ということがあてはまりません。そこで、「みつける(表出化)」、「わかる(連結化)」を加え、「考える」を中心に据えてみたると、なんとかなく形になるようです。
何かを「みつけた」ならば、これを「わかる」ために図式化し、そして「忘れる」。
「忘れた」(思考停止)上で考え、さらに自分の脳内のメモリー(一時記憶装置)にイメージを展開し「思い出す」。このようなサイクルを繰り返すことにより、新たな発想と発見が生まれる、というわけですね。
*「知識創造企業」野中郁次郎・竹内弘高・梅本勝博著(東洋経済新報社:1996)
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天の岩戸からスサノウ追放まで
天の岩戸(あまのいわと)の話については、誰もが、一度は聞いたことがある物語でしょう。ネットで調べると、その数の多さに驚きます。詳細については、ネットで見ていただくとして、ここでは、ざっくり解説します。
誓契(うけひ)での勝負に、勝ったつもりのスサノウでしたが、コインの裏表を的中させても、どっちが勝ったということを、あらかじめ決めておかなければ、どうしようもありません。勝敗の行方があいまいだったことから、スサノウは面白くなかったのでしょう。
その後、スサノウは好き勝手し放題に暴れまくりました。海原での仕事をさぼり、かつ、そのわがままな振る舞いに、姉の天照ラスは大い驚き、そして悲しみ、「天の岩戸」の奥に隠れ、戸口を締め切ってしまったというわけです。
太陽の神「天照ラス」が隠れた世の中は真っ暗。
そこで、「思イカネ」を筆頭に、「天照ラス救出隊」が組織されたわけです。活躍した神は、いろいろあるようですが、とりあえず、以下の5神としました。
救出劇は、長鳴鳥「コケコッコー」の第一声で始まりました。
●「思イカネ」が、全体構成と演出を行います。
●「フト玉」が、真榊(まさかき)に玉、鏡、和幣を供え、
●「天ノコ屋根」が祝詞(のりと)を唱えた後に、
●「天ノウズメ」が、肌もあらわに、乱れた踊りを披露すると、
天照ラスが「何かしら?」と岩戸の隙間からチラ見。すかさず、
●「天の手力男」が、岩戸をこじ開け、天照ラスを引っ張り出すと、
暗闇の中にあった世の中に、明るい太陽が戻ってきた、という流れですね。
その後、スサノウは罰せられた上、高天原を追放されてしまいます。
追放された行き先が。。。。「出雲の国」。最終的に、スサノウは「出雲の国」から、母イザナ美のいる「黄泉の国(よみのくに)」に近い、「根の堅州の国(ねのかたすのくに)」に移住。 スサノウの、当初からの願いが、最後に叶ったわけです。
結局、スサノウは高天原で誕生し、追放され出雲の国に降り立ち(これはいうなれば、「裏降臨」といってもいいのかもしれません)、子孫を残すという仕事をこなします。結末をどうするか、ということを執筆者は揉めたのでしょう。
イザナ美は仕事を終えた後、「黄泉の国」という死者の国(古墳)に収まりましたが、ここから子孫は生まれません。そのような場所に、スサノウをここに送るわけにはいかないわけです。そこで「根の堅州の国」という別の国を設定。さらに、出雲の国とのかかわりを持たせた、ということではないでしょうか。
さらに、この国の位置付けを、イザナ美の近くということにすれば、当初から「母のところに行きたい」という理由も、正当化できるようにも思えます。
これは、単なる私自身の妄想ですが、物語として収まりがよさそうです。
日本ブログ村というところに登録しています。この「神話・伝説」のカテゴリーでは、 いろいろな方が、独自の視点で古事記などについて書いています。 一度、ご覧になると参考になるかもしれません。。。。。参考にならないかもしれません。
ニニギ尊(みこと)の誕生
▮誓約(うけひ、うけい)の意味するところとは?
古事記における「イザナ岐の禊(みそぎ)」が、その後の展開に大きくかかわる出来事とはいうものの、あまり目立ってはいないですが、その後の「誓約」(うけひ、うけい)が、私見ですが、一番大きなヤマのようにも思います。
ざっと、要点だけをいいますと、
スサノウは、母の国「黄泉の国」に行きたいとイザナ岐に頼みますが、黄泉の国での忌まわしい出来事に懲りたイザナ岐は、乱暴者でわがままなスサノウを追い出します。その後、天照ラスのところに行き邪心のないことを訴えますが、疑い深い天照ラスは、再び乱暴を働くのではないかと、なかなか信用しません。
そこで、スサノウは潔白を証明するために、神に祈り天意を問うことにしました。これが誓契(うけい)という方法。(天照ラスとスサノウが勝負することで誓いをたてるわけですが、コインの裏表で判定するような勝負の意味について、もう少し勉強せねばなりません)。
その勝負は、スサノウ、天照ラスの双方が新たな神を生み出して、男神を生んだ方が、勝ちという取り決めのようです。やがて、
●天照ラスは、スサノウの剣をかみ砕き、女3神。
●スサノウは、天照ラスの勾玉をかみ砕き、男5神。
を生み出しました。しかし、はてさてどちらが勝ったのか。
種と畑の関係性のようなもので、
●スサノウの種が、天照ラスの畑にまかれ女神が生まれたので、それはスサノウの子
●天照ラスの種が、スサノウの畑にまかれ男神が生まれたので、それは天照ラスの子
と天照ラスは主張しますが、スサノウは納得しません。
●種がどうあろうと、スサノウの畑から男神が生まれたので、それは畑の所有者の子
とスサノウは主張します。
結果的には、強引なスサノウの意見が通り、結果的に高天原に住むことを許される、というわけですね。この話は、その後の「天の岩戸」の物語に続いていきます。
とはいえ、天照ラスの子孫が、この後に降臨するという展開になので、物語としては、天照ラスの子として扱う必要性がでてこなければならないわけです。いろいろ、紐解いてきましたが、この「誓約」の物語の包装紙の紐は解けても、中の箱の紐は、固結びされているのか、歯が立ちません。この「あいまいさ」の意味するところは、時間がかかりそうなので、保留ということにしておきます。
▮ニニギ尊(みこと)の誕生
「誓契(うけひ、うけい)」で、天照ラスとスサノウは、結局のところどちらが勝ったのか定かではありませんが、表面上は、スサノウが勝ったのでしょう。彼は、高天原に住めることになりました。その後、物語は、スサノウとともに「出雲」へと展開していきます。また、「出雲」の物語では、天照ラスの「5神」の最後に生まれた「天ノホヒ」も登場するので、名前を憶えておくといいでしょう。
その前に、「ニニギ尊の誕生」に関して、押さえておかねばなりません。
この点については、おおむね把握したら、忘れてしまってもいいのですが、「あー、そういえば・・・」といった具合に、頭の片隅にあればよろしいか。
さて、「誓契(うけい)」により「天ノオシホ耳」という神が生まれました。「天ノオシホ耳」は「豊アキズシ姫」と結婚し、やがて「ニニギ尊」が誕生します。 この「豊アキズシ姫」は、実は「造化三神」の「高ミムス日」の神の子孫。この「高ミムス日」神には、「思イカネ」という子孫もいます。思慮深い神を表すための命名なのでしょう。「思イカネ」は、「天照ラス」を暗い洞窟から、引っ張りだすための案を考え出す、参謀のような役割で登場します。この話は、また後ほど。
ニニギ尊(みこと)というと、高天原から、九州の「高千穂」に降臨する神(その末裔が「大和の国」に行くことになります)として、古事記では、必ず名前が出てきます。しかし、降臨するといっても、強引に押しかけるわけにもいきません。 ことを荒立てることなく降臨を実現させるためには、事前に、その地にすでに住んでいる人々に、お伺いを立てるのがいいと考えたのでしょう。
その交渉場所が、出雲なので、降臨前に「出雲の国」の物語を確立しておかなければならない、というわけですね。 「誓契(うけい)」の後に、スサノウの起こした事件から、やがて「出雲の国」の物語が始まります。 結構、律儀というか、論理的な説明で、なにやら算数の証明問題のような気がしないでもないです。
今回の記事での押さえは、「ニニギ尊の母方の祖先は、高ミムス日の神であり、父方の祖先は、天照ラスの神」であったということ。 だからどうしたって?・・・・・ まぁ、どうしたってことは、ないンですが。
古事記は物語なので、神の名前が多すぎるのは困りものですが、ストーリー性のある読み物としては、面白いのかもしれませんね。
【忙中閑話】人生を楽しく生きる「よかった思考法」を思いついた
小泉純一郎という政治家がいます。彼が首相の時代、時おり政治を離れオペラをはじめいろいろな舞台を見に行く、というニュースがよく流れていました。そんなニュースを見ながら、彼が当たり前に発する文言に、「あれっ?なんか変だな。」と感じることが、しばしばあったわけです。
それは、観劇後にインタビューに答える
「いやぁ、よかった。感激した。」
という言葉。
小泉氏自身は、観戦、観劇した後に、その印象を素直に述べているわけで、なんらおかしいことはありません。しかし、どこへ行っても、何があっても、言うことが同じなんですね。どうも、作為的にみえてしまう。若干の懐疑心はあるものの、「役者を褒める」わけで、私自身、よい印象を持っていたことは間違いありません。
国家の長たるものの発言が、社会に与える影響は多大なものがあります。特に個人に対しては「褒めてやらねば、人は育たず」の言葉のとおり、悪いところを指摘、非難するよりも、よいところを褒めてやらなければ、本人のやる気が失せるものです。公衆の面前で批判するならば、なおさら相手に恥をかかせることになってしまいます。
もちろん、票の行方にも大きく影響するので、「褒め言葉」しかいえない、という環境であったことは否定できませんが。
しかし、どこへ行っても、何があっても、
言うことが決まっているように思えるンです。
幕が閉じた後、記者が「何が、よかったンですか?」と聞くと、小泉氏は、面白かったところを的確に答える。時には、一般の人が気が付かないささいなことを言うこともあり、「そんなとこまで見ているンだ。」と、観察眼の鋭さに感心したものです。
一連の行動には、何の不思議もありませんでした。
でも、何か変なンです。
まわりもうすうすは感じてはいるものの、それが、何だか、わからない。
ある時、ふっと思い浮かびました ∑ヾ( ̄0 ̄;ノ。
それは、
「最初から、言うことを決めている」
のではないか、ということ。
実際に行動する前に、最期を「よかった」と結論付けるためには、その途中「いい結果を想定した理由」を探しだしていかねばなりません。ですので、観劇しているときは、神経を集中させて「いいこと」を見つけ出す努力をしているわけですね。
それは、仮説の正当性を後から補完するような「帰納法的前向き思考」とでもいうのでしょうか。「何ごともまず『よかった』と結論付ける」。「なんで?」という理由は、あとから考える、ということがミソのようです。
***
「ネガティブ情報」を集め、順序だてて思考をすれば「結果が悪くなる」のは当然であるように、あらかじめ
◆「悪かった」をイメージすると、「ネガティブ情報」に目を向けるようになり、
◆「よかった」をイメージすると、「ポジティブ情報」に目を向けるようです。
「帰納法的前向き思考」という意味では、人の見方にも通じるところがあります。
「イヤな上司」のいいところ・・・そんなところはありません。
「イヤな上司」には、イヤなところばかりしかありません。
◆良い結果をイメージして行動すると、
多少の障害があっても、いいことをやろうと考え、
◆悪い結果をイメージして行動すると、
多少の障害にも勝てず、悪いことを考えてしまうものです。
話を聞いていくうちに、不必要なものを買わざるを得ない状況になることがありますが、最初に「買わない」と決めておけば、「買わない理由」に着目するので、無駄な買い物はしないようにも思います。
お寿司のネタは色とりどり。わたしは、マグロが好きなので「赤いネタ」が目に入ります。しかし、カミさんは、うにがお好き。ゆえに「黄色いネタ」に目がいくことから、きっとそれぞれには、以下の写真のように見えるかもしれません。
あー、うまそー。
「社会情勢は悪化している」と結果を想定すれば、新聞などのニュースの多くは、「悪化」している要因が書かれているようにみえる。書き手と読み手の意識の違いによって、伝わるニュースの解釈に違いがでてくるというのは、興味深いことです。
先日、昔の会社の仲間たちと飲みましたが、とても「よかった」ですね。
よかった理由?・・・・これから考えます。
古代日本の書物と西洋の経典
538年ころ、第29代欽明天皇の時代、西の方から、多くの仏教の経典や仏具が伝来しました。この時、仏教派の蘇我稲目は、神道派の物部氏と争いつつも、仏教を受け入れたわけですが、仏教伝来に関しては、漢字の伝来も含め、ネットに数多く掲載されているので、そちらで勉強したほうがいいかもしれません。
ところで、日本の歴史に関連する「古事記」と「日本書紀」は、どのような経緯をたどっているのでしょうか。
第33代の推古天皇、聖徳太子、蘇我馬子が帝紀と旧辞という書物を編纂しました。
古事記は、この帝紀と旧辞を学んだと思われる第40代天智天皇から伝え聞いた、稗田阿礼の記憶を、太安万侶が筆録した物語。さらに、歴史書として第41代の持統天皇と藤原不比等が日本書紀を編纂した、ということになっています。
その経緯を以下の図のようにまとめましたが、段階的に移行していった様子が、なんとなくわかります。
縄文の時代、狩猟採取で、その日暮らしの生活をしていた人々。縄文の後半から弥生時代にかけて稲作が始まると、コメは備蓄できることから、それを単に消費する人とは異なり、貯めて供給する人や呪術師が、現れ始めました、といいます。
やがて勢力として、支配するもの、支配されるものに分類され、新しい社会が形成されていったわけです。このような時代の経緯と「古事記」との整合性を、ちょっとややこしいのですが、そのうち探ってみたいと思います。
ところで、西洋の経典の場合は、どうなんでしょう。
若いころの話で、恥ずかしいのですが、わたしは、キリスト教のバイブルを、
「旧訳聖書と新訳聖書」だと思っていました。つまり、大昔の人が翻訳したことから、旧訳。一方、その後、新たに翻訳されたのが、新訳。その筋の方から、お叱りを受けますが、そう思い込んでいたンだから、しゃあない。( ̄_ ̄ i)
でも、旧約と新約であれば「何を約束したんだ?」という疑問につながっていったわけで、無知は、いろいろな動機を与えてくれます。
さて、唯一神の経典を概観しますと、非常に荒っぽい見方で専門家から叱られそうですが、稚拙な頭で考えるに、以下のような流れになるようですね。
最初にでてきたのが、タナクと呼ばれるユダヤ教の経典。やがて、旧約聖書と新約聖書がキリスト教の経典となりました。旧約聖書は、ユダヤ教のタナクとほぼ共通しているといわれます。さらにこのふたつの書を取り込んで、コーランができたとのこと。まったく、別な書と思っていましたが、大きな勘違いでした(・∀・)。
それぞれの宗派により、唯一神のとらえ方が異なることから、その経典の内容が違うのは、自然の流れでしょう。冒頭の図を再掲しましたが、古代日本においても同じ様にあてはめると、「帝紀/旧辞」推古天皇(聖徳太子、蘇我馬子)、「古事記」天武天皇(大海人皇子)、「日本書紀」持統天皇(藤原不比等)の違いは、宗派の違いと考えるのもよろしいかと。
あー、無知を自覚する毎日(_ _。)
はるか大昔の真実は、ある程度研究者により推測できるものの、現代科学では解き明かせないことも数多くあります。悠久の歴史を紐解くにつれ、その興味は深まるばかりですΣ\( ̄ー ̄;)。
古事記は「ジ」の字で忘れよう
古事記は、上・中・下の三巻に分類されますが、イザナ岐、イザナ美の話は、上巻の序章に過ぎません。この後の展開を混乱しないよう、古事記の一覧図を掲載します。一覧図といっても、上・中のあたりまでです。最後の推古天皇まで1枚の中に収めることは可能ですが、、、、どうも、そこまでの根性がないようで。
とにかく、部分的であっても、これを紐解いてシナリオを構成しなければ、とてもではないですが、覚えられません (_ _。)
この一覧図は、煩雑で見にくいものの、古事記の逸話(部分)を紐解いていくにつれ、全体の姿が見えてくるンだと思うンです(多分ですが)。
この古事記の一覧図は、上巻(イワレヒコまで)を中心に、中巻(神武天皇から応神天皇)のヤマトタケルの東征の逸話を組み入れました。中巻から下巻(仁徳天皇から推古天皇)にかけては、弥生時代から古墳時代のつなぎ目でもあり、邪馬台国もからんでくることから、天皇を中心に紐解くのが順当のような気がいたします。
それにしても、この一覧図では、一時的に覚えられても、忘れること、そして想い出すことができません。そこで、忘れるための一つの絵文字として考えた場合、古事記は「ジ」という文字で、表現できました。
この「ジ」を想い出すことにより、ひとつひとつの物語が浮かび上がってくれば、しめたものです。しかし、時間もなく、ざっとした概略を話す際には、この「ジ」程度の話(あらすじ)で、なんとなくわかるようにも思います。
ただ、この図は、これから勉強を始める方々に、少しは参考になっても、長い目でみると役に立たないでしょうね。なぜかとかといいますと、この図は、本人が研究や勉強を実践した結果であり、いうなれば、その残骸のようなものですから。
他人が勉強したノートを見たところで、表面的に知った気になるだけ。
まぁ、それでもいいのですがヽ(;´ω`)ノ
とはいえ、どうせなら、このブログで理解してしまいましょう。ポイントは、ひととり理解した後、「忘れる」ことなんです。これまでは、「忘れてはいけない!」と教えてられてきたので、忘れることに、罪悪感さえ感じたこともありました( ̄_ ̄ i)。
問題は「忘れる」ことではなく、「想い出せない」こと。
ですので、いつでも想い出せれば、忘れたって、いいじゃぁないですか(*^ー^)ノ。
古事記の場合、私の記憶の中には「ジ」の文字しかありません。その他の情報は、脳の潜在意識の中に入っていますから、それをいもづる式に引っ張り出すだけなんですね。どうしても思い出せなければ、この図をみればいい、ってわけです(* ̄Oノ ̄*)。
天照ラス&スサノウの登場
イザナ岐は、死者の国の「黄泉(よみ)の国」から、ようやくも戻ってきました。これが「蘇る(よみがえる)」の由来だとか。イザナ岐は、死者の国から、帰ってきたので、身がけがれたわけで、禊(みそぎ)を行います。脱ぎ捨てる衣、袴、冠、腕輪、などから、12神が生まれ、さらに、身体を洗った際には、7神が生まれました。
最後に、
左目を洗うと「天照ラス大神(アマテラスオオミカミ:天照大神)」
右目を洗うと「月ヨミ命(ツクヨミノミコト:月読の命)」
鼻を洗うと「スサノウ命(スサノウノミコト:建速須佐命)」
が出現。どうも、このあたりは引っかかります( ̄□ ̄;)
「天照ラス」は天界を治め、「月ヨミ」は夜を治め、「スサノウ」は海原を治める役目を仰せつかりました。天照ラスは「和魂(にぎみたま)」で、スサノウは「荒魂(あらみたま)」と呼ばれ、スサノウは暴れまくり、天照ラスは、これを鎮める役割り。やがて「誓約(うけい)」や「天の岩戸」の事件が起こるわけですね。一説では、天照ラスは、もともと大和に住む神であり、スサノウは外来の神ともいわれているようです。
神社には、この写真のような「神楽(かぐら)」の舞台があります。「神楽」は、神の宿る場所としての「神座(かむくら)」が転じた言葉。写真は、「大國魂神社(おおくにたま)」で、お祭りの際演じられた「イザナ岐の禊」の場面。昔は、お神楽を観ても、何をやっているのか、よくわかりませんでしたが、イザナ岐とイザナ美の話を知って、ようやくじっくり観ることができるようになりました。
「神楽」から、室町時代以降「能・狂言(能楽)」が演じられ、その哲学的ストーリーは西洋の演劇にも通ずるとか。「能楽」は、2001年、ユネスコの「人類の口承及び無形遺産の傑作(世界無形遺産)」として認定。さらに江戸時代に大衆向けに「歌舞伎」が演じられるようになった、ということのようです。
ネットで詳しくお調べください。
女優の浅野温子さんは、2013年、いろいろな神社をめぐって「語り舞台:日本神話への誘い」を語ったそうです。一度、見に行きたいと思っていましたが、最近は、あまり活性化していないようですが、このような試みはとてもいいですね。
「語り舞台:日本神話への誘い」(http://kataributai-nihonshinwa.com)
イザナ岐は、ケガレた身体を洗い清めたわけですが、民俗学者の柳田國男は、日本人の伝統的な世界観を「ハレ」と「ケ」で分類しました。「ハレ」とは儀式やお祭りという「非日常的」な出来事。「晴れ着」とは、非日常的な儀式(例えば成人式や結婚式)にまとう衣服。「晴れ舞台」という使い方もあります。
一方「ケ」は「日常的」生活を表すといわれています。どんよりした天気が続く毎日。ある日、みなぎる太陽が昇り、雲一つない「日本晴れ」の日。江戸時代には、そのような使い方もしたとか。日常生活(「ケ」)を営むとエネルギーがなくなり「ケガレ(ケ枯れ)」る。「ハレ」の日に、非日常的な祭りを行い、エネルギーを復活させる、という考え方もあるようです。
わたしは、いつも非日常的生活を営んでいるよう。
。。。。。「ケ」がありませんから。(ノ_-。)
黄泉の国へ旅だったイザナ美
島造りを終えた、イザナ岐とイザナ美は、住居・海・河・水・風・木・山・野・土・霧・谷・船・食物などの神を、次々に創り出しました。古事記の中では、それぞれの逸話の中に登場しますので、なんとなく覚えていれば、よろしいかと。
代表的には
海の神「オオ綿ツミ(大綿津見)<長男>」:「ニニギ降臨後」に登場
山の神「オオ山ツミ(大山津見)<次男>」:「ニニギ降臨後」「国譲り一回戦」
船の神「天ノトリ船(天の鳥船)」:「国譲り三回戦」に登場
など。
やがて、火の神「カグ土(迦具土)」を産んだことにより、イザナ美は大事な御陰(ほと)に大やけどを負ってしまいました。病床の身でありながら、その後、嘔吐(へど)、糞尿からも神々を生み出します。その尿から生まれた神が、食の神「豊ウケ姫(豊宇気比売)」というのですから、よくわからない。
結局、35神を産みだしたとのこと。
イザナ美は、やけどが致命傷となり、黄泉の国(よみのくに)へ旅立ってしまいました。黄泉の国とは死者の国のことです。
愛するイザナ美を失った悲しみからイザナ岐は、十拳剣(とつかのつるぎ)で、
火ノカグ土を斬ってしまったのです。この時の、涙や、血のり、身体から、合計16の神が生まれました。 この中には、後にでてくる「国譲り」の中に登場する「建ケミカズチ(建御雷)」も含まれています。
殺された火ノカグ土は裂石となって、宮崎県の「東霧島神社(ツマキリシマ)」他に祭られているとか。
さて、、、、(ここからは、ネットにたくさん掲載されているお話)
愛おしいイザナ美を失ったイザナ岐は、なんとか一目だけでも会いたいと、長いトンネルを抜け、黄泉の国へ向かったのです。扉までたどり着くと、中のイザナ美に自分の想いを伝えます。しかし、そこは死者の国。すでに、死者の国の食べ物を食べたイザナ美は、もう戻ることはできません。
どうやら、古事記を後述した「稗田阿礼」は、時代の流れからいって、古墳をイメージしているような。時代考証は別途考えるとして、なにやら、おどろおどろした情景が思い浮かびます。
イザナ岐のあまりの思いにイザナ美は、「戻れるかどうか聞いてみますので、どうか扉を開けないでください。」と扉の向こうから、イザナ岐に伝えました。
このくだりは、「鶴の恩返し」を思い起こさせますね。「ダメヨ、ダメダメ!」と言われてしまうと、ますます、その思いは強まってしまうものです。
イザナ岐は、しばらく待つものの、とうとうこらえきれず、扉を開けてしまったのです。そこには、見るも無残なイザナ美の姿がありました。びっくりしたイザナ岐は、来た道を慌てて引き返したのですが、「一度、黄泉の国に来たものを帰すわけにはいかない!」とばかりに醜女が追いかけます。
そこで、黄泉の国の入口付近にある比良坂(ひらさか)のあたりで、持っていた十拳剣(とつかのつるぎ)を振り回して追い払い、さらに、そばにあった桃の木の実を投げつけ、むさぼりついている間にようやく出口にたどり着いたのです。。しかし「わたしの恥ずかしい姿をみたな」と怒りに狂うイザナ美が追いついてきました。そこで、イザナ岐は大きな石を持ってきて、出口を塞ぎ、永遠の別れを告げました。
愛した人が亡くなることは、とても悲しいです。ある葬儀の初七日の法要の時、お坊さんは言いました。「身体はなくなっても、あなたが想っている限り、愛する人の魂は、なくなることはありませんよ。」と。自分の心が、すこし癒されたことが、思い出されます(ノ_-。)
さて、長くなりましたが、このストリー性に富んだ逸話をまとめると、以下の図のようになります。
この逸話を、古事記の想起文字(アナロジー)「ジ」に置き換えると、最初のチョンと、最後のテンテンのひとつに位置されます。集中してイメージを焼き付けましょう(腑に落とすってことでしょうか)。
焼き付いたら、この話は、忘れましょう ∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
イザナ岐とイザナ美の島造り/国造り
古事記の物語は、造化三神、別アマツ神、神世七代の神々を創造した後、イザナ岐、イザナ美が、島を造るところから本格的な国造りが、始まります。
日本の国土は、最初は「①淡路島」。続いて「②四国」、そして「③隠岐島」「④九州」「⑤壱岐島」「⑥対馬」「⑦佐渡島」「⑧本州」の順番で造られ、これらを大八島と名付けました。さらに、小豆島や女島(ひめしま)など六島を生み、国つくりというよりも、むしろ島造りを終わらせたのでした。
どのように、この島造りがなされたのか、その経緯を解説しましょう。
別アマツ神(5神)の命を受け、イザナ岐とイザナ美は、天浮橋(あまのうきはし)に立ち、天沼矛(あまのおぼこ)にて、混沌とした国土が漂う海を、掻き回したということです。ギリシャ神話にしても、旧約聖書にしても、混沌とした中から世界が誕生するというのは、共通しているようにも思えます。
そして、天沼矛を引き上げたときに、最初にできた島が「オノゴロ島」。二神はこの地に降り立ち、天の御柱を立てたました。
この柱の周りを二人は別々に巡り、落ち合った際に、イザナ美が誘い最初の国を造ったわけですが。。。。できた国は、ぶよぶよの未熟な島「ヒルコ」と「淡島」。結局、この二島は成立しませんでした。推古天皇の頃は、中国からの儒教の影響が強く、男尊社会であったことから、女性から誘うことが許されていなかったようで、それを暗示するため、このようなシナリオを構成したともいわれているようです。
この出会いについて、古事記では、非常に刺激的な言い回しがでてきます。
「吾が身は成り成りて、成り余れるところ一処あり。この吾が身の成り余れる処を、汝が身の成り合はざるところに刺し塞ぎて、国土生みなさむと思ふはいかに。」
古典的な言い回しですが、当時としては、それほど気にはしていなかったのでしょうか。若い時分は、どきっとしたものです(@ ̄Д ̄@;)」
「楽しい古事記(阿刀田高著)」の中で、ジョークを紹介しています。
『太古の時代、革袋を縫って人体を創るときに、半々に切るべき縫い糸を6:4に切ってしまった。長い糸で縫い終わると、少し余ってしまったので、脇の皮膚をつまんで、クルクルと巻いて棒を作った。短い糸の方は、縫いきれず、そのまま残った。これが、男と女の誕生であったとか。。。。』
はてさて、一体、どこの国のジョークなんですかね。
ユダヤ教では、割礼という儀式があります。ここで言う、余った糸を切るようなもンですね。ユダヤ教の戒律の厳しさに、異を唱えたのがイエスですが、ゲッセマネの園でつかまってしまいます。。。。その話は、またいつか。
さて、
イザナ美はイザナ岐は、オノゴロ島の御柱を回り、出会ったところで、イザナ美が誘い、まぐわったのでした。まぐわう:これは、阿刀田高的表現ですが、この後は、比較的おとなしめの、この表現で使うことにします(;^ω^A。
古事記の中では、女性が始めに誘ったから、未熟な島ができたのだ、としています。が、実際には大陸から伝わった儒教の教えを説くための話、と考える人もいるようです。なるほど。φ(.. )
バレンタインディーを過去に持ち込んだら、歴史が変わったかも。
そこで、今度は、イザナ岐から誘い、
「①淡路島」「②四国」「③隠岐島」「④九州」
「⑤壱岐島」「⑥対馬」「⑦佐渡島」「⑧本州」と生み、これを大八島(日本のこと)と名付けました。
さらに、小豆島や女島(ひめしま)など六島を生み、
国つくりといいますか、島造りを終わらせたのでした。
フーテンの寅さんの口上にも
『国の始まりが大和の国、島の始まりが淡路島、泥棒の始まりが石川の五右衛門なら、助平の始まりが小平の義雄、ね、続いた数字が二、仁吉が通る東海道、憎まれ小僧が世に憚る。仁木の弾正はお芝居の上での憎まれ役。ね、お父さん、これ買ってよ、ダメ? ケチ、三、三、六歩で引け目がない。産で死んだが三島のおせん。おせんばかりがおなごじゃないよ。』
というのがあるように、最初は淡路島という、古典に沿った教育が行われてきたんですね。それにしても、寅さんのような、いわゆるテキヤさんの口上は面白い。
で、なぜ、最初が淡路島で、その後、四国、九州と続き、最後に本州を作ったンでしょう。私見を述べさせていただけば、最初に大和朝廷の支配地域を作り、それから非支配地域である熊襲(くまそ)のいる九州、蝦夷(えみし)のいる本州とすれば、なんとなく、順番が理解できるような気がしないでもないです。
いずれにしても、これらの話も、覚えておく必要はないです。イメージとして頭に入れ、忘れましょう!(^ε^)♪
大分県の国東(くにさき)半島の横にある姫島(古事記の中では女島)は、後ででてくるので、地図で位置だけを確認しておいて方がいいでしょう。
国の始まり(古事記編/天地創生)
さて、古事記に関しては、数多の研究者の方が著書だけでなく、ネット上にも各種文献や意見がでています。その意味で、いまさらながらですが、「国の始まり」について、図式とともにまとめておくことにします。
旧約聖書の「創世記:天地創造」では、唯一神が、雄大な自然たる地球環境と、人々を創り出していきました。ギリシャ神話では、混沌とした宇宙空間から、ふと生じた「ゆらぎ」により、母なる大地ガイアが誕生しました。
古事記における自然界の形成についても、旧約聖書とギリシャ神話と同様なプロセスをたどっているようにも思えるンです。
八百万神(やおよろずのかみ)といわれるように、古事記では、自然界に多様な神様が大勢います。あまりにも、多いので、畏れおおいですが、天地創生の場面では、番号をつけさせていただきましたm(_ _)m。
▮始めに誕生したのが「造化三神(ぞうかさんしん)」
最初の世界はまだ形をなしていない状況でしたが、やがて天と地がおぼろげに区別できるようになり、天界である「高天原(たかまがはら)」に、三柱(みはしら)の神が生まれました。
▮さらに二柱の神が生まれ「別アマツ神(ことあまつかみ)」
先の造化三神に、二柱の神が加わり「別アマツ神(ことあまつかみ)」と呼ばれました。この、別アマツ神により、おおむね、天界の存在が認識されたものと思います。いずれの神も、単独の神(独神=ひとりかみ)であり、性別も明確ではなく、姿かたちも現さなかったようです。
▮この後に「神世七代(かみよななよ)」と呼ばれる神が現れます。
①豊雲ノ神と②国ノ常立の神は、それぞれ独神で一代であり、性別もありませんでしたが、③~⑦までは、男女1組で一代となったようです。この時点で、男神と女神が登場することになったわけです。
「別アマツ神」の⑤天ノ常立の神と、「神世七代」の②国ノ常立の神は、天と地の世界を形作った重要な神といえるでしょう。
▮全体を「天地創生」の神々としてまとめました
古事記には、それぞれの神の細かい役割よりも、その結びつきを重要視しています。とはいえ、このような図を覚える必要はありません。ここでは、3(造化三神)、5(別アマツ神)、7(神世七代)と縁起のよい奇数と全体の構成をイメージとして捕え、頭の中に描いておきましょう。
で、忘れる(*^ー^)ノ。。。それが大切です。
さらに詳しく知りたいという際には、ネットで検索すれば、いくらでも文献、資料、動画、ブログなどが、すぐ見つかります。(すぐ見つかる、ということがいいかどうかは別として)
この「神世七代」として生まれた一組の男女が、「イザナ岐(男神)」と「イザナ美(女神)」であり、天界より「国づくり」を命じられることになります。ギリシャ神話での「ガイアとウラノス」や、旧約聖書の「アダムとイブ」にあるように、新たなものを生み出す際に必要なのは「男と女」、という考え方が共通している点が面白いですね(* ̄Oノ ̄*)。
国の始まり(ギリシャ神話/ガイアの夜明け)
旧約聖書では、唯一神が、0日目に「無」から「天と地」を作り、その後、世界のあらゆるものを創り出しましたが、ギリシャ神話では、国の始まりはどのようになっていたのでしょうか。
▮ギリシャ神話におけるガイアの位置づけ
ギリシャ神話の中心的存在は、全能の神といわれる「ゼウス」ですが、このゼウスには「クロノスとレイア」という両親がいました。
もともとはティタン一族の中の姉弟なのですが、ギリシャ神話では、近親相姦的関係性は当たり前。娘でさえ、奥さんになってしまいます。人間と違い、神の世界では許されることなのでしょう。
ただ、ギリシャの古典劇「ソポクレス戯曲<オイディプス王>(BC5世紀)」に登場する、オイディプスの場合は、このきまりが通用しなかったようです。
オイディプスは、ひょんなことから、父親である前テーベ国王を殺害し、その王妃である母親の「イオカステ」を妻に迎えてしまったのです。真実を知った王妃は、嘆き悲しみ自害。
このことが、さらなる悲劇を引き起こしてしまったンですね。全てが近親相姦の世界ではなく、中にはこのような例外もあるようです。
「クロノスとレイア」の父親が「ウラノス」、母親が「ガイア」です。では「ゼウス」の祖父母ともいえる二神は、どのように生まれたのでしょうか。
▮カオスから生まれたガイア
宇宙は、当初カオス(混沌)状態でしたカオスという世界では、ちょっとした「ゆらぎ」で、新しいものが誕生するといいます。複雑系という学問では、創発と呼ばれる現象です。ここから、新たな「大地」が生まれ、「ガイア」という女神が支配するようになりました。さらに「ウラノス」が誕生し天界を支配、ここに「天と地」が存在する世界が出現した、というわけです。
ガイアが大地の神として誕生した後は、ウラノスが天界の神、さらに、昼、夜、闇、大気、海、地底を支配する神が生まれていきます。
ガイアとは、どのような女神だったのでしょう。ギリシャ神話つながりというわけではないですが、アプロディテ(ヴィーナス)的イメージだったのかもしれません。もっとも、ヴィーナスは、ウラノスのザーメンが海に漏れて生まれたことから、ガイアとは、直接つながっているわけではないですが。
このエピソードは、支配者がことなるものの、旧約聖書の天地創造を彷彿とさせます。なぜ、このように、神の存在が異なってしまったのでしょうか。それが、エジプト文明に隠されているんです。たぶん。。。。∑(゚Д゚)
エジプト文明については、また別の機会に紐解くことにしましょう。
世界史、日本史、地理は、微妙な線で結ばれていることから、全地球を鳥瞰しつつ、歴史の細部を掘り起し、イメージ力を高める必要性があると、改めて感じる今日この頃です。
それにしても、聖書では、男(アダム)から、女(イブ)」が、ギリシャ神話では、女(ガイア)から、男(ウラノス)」が生まれたんですね。
だから、どうした(#`ε´#)! というわけではないのですが、、、、、